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StarchiveとThe Bob Dylan Archive



6,000点にものぼる、ノートや手紙、映像、レコーディング、写真などのディランコレクションが15億~20億円でジョージ・カイザー・ファミリー財団に売却され大きなニュースになったが、そのコレクションをデジタル化した物にアクセス出来るとしたらこの地球上でもごく限られた人だろうと想像する。

Digital ReLabCEO、リチャード・アヴェリット(Richard Averitt)は数少ないその一人だ。財団が目を付ける間にこのアーカイヴに気づいた人物。



Richard Averitt


アヴェリット:財団はコレクションの大部分を入手した。素晴らしい物だ。彼ら(ディラン達)が(既にデジタル化した)ディランのアーカイヴを私たちに見せた時、それは7つの異なったデーターベースから成っていた。超巨大なデジタル倉庫の山だった。録音した全ての物、歌詞そして物理的なメメント、それらの情報はアナログの箱に対応していた。ほとんどは未公開の物だ。アーカイヴがオープンになり出すと。ファンや学者は彼への理解を深めるだろう。おそらく85~90%がコンピュータにコピーされているだろう。ディランのような巨大なアーカイヴ化がいつ終わるかをはっきりさせるのは難しい。
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ナンバリングされたアナログの「箱」

アーカイヴ化にStarchiveを使う。Starchiveはデジタル化するシステムでは無い。デジタル化された素材をアーカイヴ化するものだ。Starchiveはピーター・アゲラスト(Peter Agelasto)が開発したソフトだ。ディランのアーカイヴを最初に掘り出した人物だ。




Peter Agelasto



もともとレコーディングスタジオを運営していたピーターは、自分達が録音した音楽をネットで公開したらファンが育って行くだろう思ったいた。しかし現実は厳しかった。人々が彼らの音楽を見つける事が出来なかった。ピーターは自分のやっている事を見失った。そしてStarchiveが生まれた。

ピーターの友人ジム・フィシェル(Jim Fishel)はディランのマネージメントとつながりがあった。偶然にも彼らは長年に渡り収集したディランの膨大なコレクションを前に途方に暮れていた。ジムはピーターにジェフ・ローゼンを紹介した。両者は話し合い、ピーターが、ディランのアーカイヴプロジェクトを行うことになった。ジェフは「一緒にやろう」と言った。その際、ピーターはこんなことを言った「最期まで辞めません。ずっと見ています。私は、ディランのマッチ箱のコレクションをアーカイヴする契約をしてますか?」「はい。全て」ジェフは答えた。

2014年、別の掘り出し上手が現れた。それがリチャード・アヴェリットだった。ピーターの父親が運営していた凧揚げ大会で二人は偶然出会った。二人は顔見知りだったか深い友人関係では無かった。

アヴェリット:ぼくらは顔見知り程度でそんなに深い友達とかじゃ無かった。2014年の春、地元の凧揚げ大会でピーターが「やあ、僕は6年やってきて初めてのクライアントを見つけたよ…ボブ・ディランだ」て言うんだ。で「おー、わかった、わかった、落ち着け・バックアップするよ」てね。それで彼と色々と話し合った。4時間後に彼の家を出て思った「これは天才的アイデアだ」マルチメディアの新しい管理方法だ。私の心を奪ったのは、最小公分母を単純化するという概念だった。まるでヒトゲノム計画のようだ。
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ディランの長くて広いキャリアの中から何かをピックアップすると4つのStarchiveは、異なった接続をしている事がわかるだろう。例えばLike A Rolling Stoneを検索するとき、初期の4トラックの音源や1965年のニューポートから最新のライヴ音源まで全てのLike A Rolling Stoneを見つける事が出来る。これは、Bootleg Seriesなどのアルバムを作る際に多角的な視野を制作側に与えてくれる。

ディラン専属のアーキビスト、マシュー・ルイス(Matthew Lewis)は「私たちはディランの巨大なマテリアルをオーガナイズするツールを探し求めていた。Starchiveは私たちにとって正しいツールだ。製作とビジネスチャンス、それらの共同作業をシンプルにした」と評価している。



ディランは最新のデジタル技術に懐疑的だが、例えば Like A Rolling Stoneのインタラクティヴ版などに関係しているのだろうか?

アヴェリット:he don’t look back
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ピーターとディラン側との最初の接触が面白い。ピーターが以前やっていたMonkeyclausというスタジオに中国のパンクバンドがやってきた。彼らはピーターと352日、共にしたが、入国管理がビザの延長を拒否した。彼らに何かをしてやりたかったピーターはコネを働かせて、ソニック・ユースやビースティ・ボーイズの中国ツアーに彼らをサポートバンドとしてつけようと考えたが中国当局に拒否された。彼がフリー・チベットに関係しているということだった。

止まらないピーターは、ディランのマネージャーを知ってる友人を訪ねた。ピーターはMonkeyclausのレターヘッドに中国系アメリカ人のロックンロール文化交流について説明し、ボブ・ディランに中国に行ってこれらの公演を行ってほしいと書いた。

2002年ことだ。
そして奇跡的に返事が返ってきた。
「本当に面白いでしょう? これは現実だろうか?」ピーターは思った。
それは現実だった。ツアーの話は無くなったが、ディランとの接続は続いた。

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ずっとStarchiveThe Bob Dylan Archiveの関係を考えていたが、これですっきりした。ただ一つ失念していたがあった。それはStarchiveがデジタル化するツールでは無いということだ。Starchiveは既にデジタル化されたものをアーカイヴ化(データベース化)するツールであること。そしてデジタル化の作業はリチャード・アヴェリットが言うように80~90%終わっている。その終わっている分がジョージ・カイザー・ファミリー財団に売却されたと思われる。デジタル化進行中の残りの10~20%がディラン側にある。

ピーターが最初に始め、クライアント第1号にディランがなったピーターの会社ブルーウオール・メディア(Bluewall Media)は現在はDigital ReLabになっている。

やはりディランは、とことんん抜け目ないと実感。 
The Bob Dylan Archiveは本物のメメント…


Starchive

Digital ReLab
How Bob Dylan’s Analog Artifacts Have Powered the Digital Frontier
Digital archivists who mined Bob Dylan’s past spy new seams
Eying Past, Present, and Future













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