It’s Hard to Believe


思うこと




今から47年前の1970年6月、ディランがプリンストン大学から名誉学位を授与された当時のことをジョン・レノンの著作でも有名な歴史学者のジョン・ウイナーがこんな風に書いている。

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当時のカウンターカルチャーは魂を売ったとディランを批難した。折しも同じ月に発売されたSelf Portraitはそういうファンにはこの上なく評判が悪く音楽評論家のラルフ・J・グリスンなどはディランボイコット運動を始めた。7ヶ月後ディランは「リーダーについて行くなと彼らに言った…関わりたくなかった。彼らはみんなで批難を始めた。すべて戯言だった。彼らは自分達の問題から抜け出すためにリーダーが欲しいだけなんだ。僕は自分の事で十分に忙しい」とインタヴューで答えた。

4ヶ月もすると批評も静まりそしてディランは勝った。彼らはみんな戻って来た。アルバムNew Morningがリリースされたからだ。グリスンは、「我々のディランが帰ってきた」と言いボイコットを取りやめた。

Day of the Locustsはプリンストンの名誉学位のことを歌っている。

大学は社会の墓場、暗い部屋、教授は裁判官で生徒は機械…ディランは恋人とノースダコタに車で逃げ出す…

歌はフェイクだが、アングラ新聞などはディランに言って欲しかった事が歌われていたので満足だった…

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ジョン・ウイナーはDay of the Locustは、批判をかわすためのポーズだと言ってるように見える。

いやいや一緒にいたデイヴィッド・クロズビーが「式に行きたがらないボブをサラと一緒に説得した。車の中でボブはずーとジョイントを燻らせていた。それでボブが本当にパラノイアになってるんだとわかった。プリンストンに着くと帽子とガウンをきるように言われたがボブはキッパリと断った。すると学位はやれないと言われた。ボブはそれでいいと答え、そしてまた説得した…」と言ってるじゃないかと言うだろうがそれでも僕はジョン・ウイナーを支持する(笑)。なぜなら最終的に貰っているからだ。

それから45年以上も経ち、時代は変わった。いみじくもスウェーデン・アカデミーのサラ・ダニアスがインタヴューの最期の最期に付け加えるように言った言葉。LAに居たディランの広報、エリオット・ミンツが朝の3時にかかってきたメディアからの電話にたたき起こされてから2週間、世界は大騒ぎになった。







思えば2013年、レジオンドヌール勲章(名誉軍団国家勲章)、叙勲の際も揉めた。平和主義者のディランには相応しくないということだった。あれはフランス国内の政治的な問題だったと認識している。ディランはそれに巻き込まれた。

レジオンドヌール勲章
Officer of the Légion d'Honneur





「歌は音楽じゃない」個人的には昔からそう主張している。まぁ全く音楽では無いとは言い難いのは確かだが、音楽は基本的には音のみで表現されるべきであって言葉で説明するもんじゃ無いという意味だ。歌においては音楽ではなく言葉がその主体となっている。その辺りのことを教えられる演歌歌手の皆さんは「歌」と「音楽」という言葉きちんと使い分ける。そういう意味で歌は文学だとずっと思っている。

良く言葉と音楽が一体になるという言い方を耳にするが、ディランなど音楽が言葉の下僕となり、言葉が音楽を従えていると感じることがしばしばある。特にディランが発明したヴォーカル・ベンダー(チョーキング)…と勝手に呼んでいる…あの語尾を自由自在に操る独特の歌い方は効果的だ。未だに使っている。






ディランがノーベル賞を貰い、世界中の作家の皆さんはジャニーズにドラマの主役をとられ続ける役者のような気分になられたであろうか。それなら大丈夫だ。ディランは昨日今日出てきた若者ではない、50年以上言葉を書き続けている物書きだ。

いつも言ってるけどディランに吟遊詩人のイメージは全く無い。はたして世間が持ってる吟遊詩人のイメージと僕が持ってるイメージとでは違いがあるのだろうか。僕の持ってるイメージは、何か旅でもしながら大きな石やら切り株に座って風に吹かれながら詩を書いてる…そんな感じだ。勿論ディランも時には切り株にでも座って風に吹かれながら詩を書くこともあるだろう。でも僕が持ってるイメージは緻密で、何か設計図かデザインを画いてるようなそして建築物でも構築している、そう言葉を構築してる…そんなイメージを持っている。

ディランのメモを見ているとセンテンス、いやワード単位で言葉を入れ替え、削除を繰り返している。そして落書き。メモに多く見られる落書きは見方によってはイメージをより鮮明に具体化しようとしてるようにも見えるしキャラクター設定をしてるようにも見える勿論ただの落書きにも見える。




また例えばこの写真



これはTangled Up In BlueのメモだがTangled Up In Blueの歌詞は全く出てこない。本当に歌詞を書く上でのメモ、バックグラウンドがびっしりと書かれている。歌詞を直接書くのでは無くその背景となるストーリーのようなもの作っているように見える。余談だが右上に Volvoという文字が見える。このことから歌詞に出てくる車はボルボだと推測した人もいる。

こんなことを書いてると大貫妙子様のお言葉を思い出すよ
「話は変わりますが、ボブ・ディランのファンは、ボブ・ディランのどこを聴いて良いって言っているのかなぁ。彼の場合は歌詞だと思うんですよね。どちらかというと。私はもちろんネイティブではないので、歌詞がストレートに理解できないと、彼の音楽は楽しめないんですよね。未だに分かんなくて、ボブ・ディランが好きっていうのは一種のスタイルなのかなって思ってしまう時がある」

はい、何も言えません(笑)。





25日、ディランはジェフ・ローゼンを通じてアカデミーのサラ・ダニアスに連絡をした。ダニアスがディランに賞を受けたいか?と尋ねたら「勿論、そうしたい」とディランは答えた。3日後、ノーベル財団は短いプレスリリースを出した。



そして29日、テレグラフにインタヴュー記事が掲載された。
World exclusive: Bob Dylan - I'll be at the Nobel Prize ceremony... if I can (Telegraph)

訳はSMEJにある
沈黙を破ったボブ・ディランの名言。 英デイリー・テレグラフ紙に語った最新インタビューより。


上記のインタヴューで最も気になった部分、それはディランの時間軸に対する問いだ。長らくツアーを続けていて色んな場所で絵を描く機会があるだろうが、タイムテーブル、方法、場所が繋がっていないとする見方に「ただ描くだけだ」と答えている。初めてレナルド&クララを見た高校生の時、それは友人から回ってきた多分不完全で画質のわるい海賊版だったがかなりなショックを受けた。それはあのわけのわからない流れがディランの頭の中では、きちんとした一貫性のある流れになっているのか、だとすると、ディランの頭の中ってどうなってるのかという衝撃だった、それはクロニクルの非連続性にも繋がっていた。もしかしたら本当にランダムなのかもしれないが、ディランは「ただそうするだけだ」と答えるに決まっている。




ディランは授賞式に出席したいが出れるかどうかわからないと言った。財団は授賞式に出席する義務は無いが、何らかの講演を行う必要があると言ってる。それは歌だけでも良いし、簡潔なスピーチ、パフォーマンス、ビデオ放送などディランのがやりたいことやればいい、財団はディランの希望に添うようにあらゆる手を尽くすと言っている。

ノーベル賞選考委員会、ディラン氏に「歌ってもいい」(AFPBB)


沈黙の理由は勿論かたらない。アーティストは手の内を明かしてはいけないのだ。いやいやこれはユダヤ人の特性かもしれない。イスラエルは、公式には核を保有しているともしてないと明らかにしていない。それは持ってなくても持ってると思わせるし、持ってても持ってないと逃げられる。つまり黙ってるだけで相手が勝手に解釈するかいらいらする…まるでディランだ(笑)。





この国では未だかつて無い信じられないほどのディラン・バブルが起こった。もうそれは恥ずかしいくらいに盛り上がった。連日ディランの記事がWEBに登場した。残念ながら一切見ていない(笑)。でももう二度とこんな祭りは起こらないだろう。こんな事が本当に起こるのだと言うことを起こすディランの真骨頂だ。後になって「あのときは凄かった」と誰かに話す日が来るかもしれない。そんな歴史的な出来事をぼくらは目撃した。まだ当分バブルは続くよ(笑)

おめでとうディラン。




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