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'63 Fender Telecaster
前々回のエントリー、G.E スミスが弾いていたブルームフィールドのテレキャスターの映像、ボディーの形やストラップピンの位置が変な位置に付いていた事にお気づきなったとお思う。
ブルームフィールドは、ニューポートの後、少なくともその年の11月頃までにテレキャスターを手放していた。フレディ・キング、ジョン・リー・フッカー、マディ・ウォーターズなどレスポールを弾くブルースプレイヤーを信望していたブルームフィールドは、テレキャスターをジョン・ヌース(John Nuese)が所有していた54年のゴールド・トップレスポールと交換したのだ。
ヌースはスタジオ・ミュージシャンでグラム・パースンズのインターナショナル・サブマリン・バンド(International Submarine Band)のメンバーだった。チキン・ピッキングでベーカーズフィールド・スタイルのカントリーを演奏していた。なので彼がテレキャスターに興味を示したのも頷ける。
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International Submarine Band
ヌースは左利きだったので、右利き用のギターをひっくり返して使っていた。テレキャスターは、彼が使いやすくするためにいくつかの改造を施した。顕著なのは、ボディー上部をジグソウでカットしているところ、そしてストラップピンの位置を変更しているところだ。
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(左)カットされたテレキャスター(右)通常のシェイプ
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左利きのヌースがハイポジションを弾くためにカットしたと思われる。ストラップピンも左利き用に付け替えている
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この時は、ストラップピンはピックガードに付けている
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ヌースの演奏スタイル
少しだけ演奏シーンがある
[Gram Parsons & International Submarine Band in "The Trip" - 1967]
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左利きのヌースがハイポジションを弾くためにカットしたと思われる。ストラップピンも左利き用に付け替えている
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この時は、ストラップピンはピックガードに付けている
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ヌースの演奏スタイル
少しだけ演奏シーンがある
[Gram Parsons & International Submarine Band in "The Trip" - 1967]
テレキャスターは、2012年ヌースが亡くなった後、長年の友人ランス・クリスチャンに48年のマーティンD-28と共に遺贈された。彼はテレキャスター修復のために、有名なリペアの専門家、ダン・アールワイン(Dan Erlewine)に連絡をした。
アールワイン:1964年の秋、アナーバー(ミシガン)で初めてマイクを見た。ちょうどブルースに興味を持ち始めた頃でその夜は、テレキャスターを弾いていたのを覚えている。
当時のアールワインは、ミシガンで兄のマイケル・アールワインと共にプライム・ムーヴァーズ(The Prime Movers)というバンドをやっていた。 アナーバーでマイクを見たちょうどその1年後、1965年11月。アールワインとプライム・ムーヴァーズは、デトロイト近郊のチェスメイトラウンジにバターフィールドバンドを見に行った。ブルームフィールドはまだテレキャスターを弾いていたが…
アールワイン:その1ヶ月後、リヴィング・エンドで演奏するためにこっちに戻ってきた時は、54年のレスポールを弾いていた。
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The Prime Movers
ショーの後、アールワインはブルームフィールド接近し、二人は友人になった。その後数ヶ月プライム・ムーヴァーズは、機会があるごとにバターフィールドバンドを見ようとした。1966年12月、ツアー最終日の翌日の日曜日にムーヴァーズはバターフィールドの遅れた誕生パーティーを開いた。バンドのガールフレンドは、ホーナーのハーモニカの形をした120センチのケーキをプレゼントし、アールワインとムーヴァーズはバターフィールドバンドのために演奏した。
アールワイン:彼らの曲を演奏したよ(笑)。彼が好きだったリックをコピーしたけど結局それは、ステージで急に変化したんだ。彼に私の59年のレポール・スタンダートを渡すとそれで弾き直したんだ。ジャムの後、彼はそのギターをもの凄く欲しがった。その場で彼のゴールド・トップと交換して欲しいと頼んできたが、彼のプレイを聞いた後、ギターを手放す準備はまだ出来ていなかった。
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サンバーストを弾くアールワイン
数カ月後、ブルームフィールドはバターフィールドバンドを離れカリフォルニアのベイエリアに引っ越した。そしてバリー・ゴールドバーグ(keys)、バディー・マイルズ(drs)、ニック・グレイヴナイツ(vox)、ハーヴェイ・ブルックス(bass)に連絡しエレクトリック・フラッグ(The Electric Flag)を結成した。その5月、ブルームフィールドはアナーバーのアールワインに電話し、59年のレスポールを懇願した。彼の新しいギターヒーローの誠意を評価し、アールワインは取引をすることにした。
アールワイン:彼が、ゴールド・トップと125ドルを送り、私が(サン)バーストを送った。緑の鉄道小荷物トラックが運んでいったのを覚えてるよ。
その年の夏のまっただ中、ブルームフィールドはプライム・ムーヴァーズをベイエリアに招待し、ライヴへの出演を依頼した。
アールワイン:『サマー・オブ・ラブ』の前の数週間はフラッグスの練習場でライヴを演っていて、ミシガンへ帰ろうとしていた(笑)。マイクの言った事は本当だった。フィルモアでのクリームのオープニングライヴを演ったんだ。凄いショーだった。私の音楽人生の中でも最重要にランクされるようなものだった。
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アールワインのサンバーストを弾くブルームフィールド。このギターを持ってる写真は沢山ある
レス・ポールを熱く語る、ブルームフィールド
レス・ポールを熱く語る、ブルームフィールド
一方のテレキャスター。ヌースと共にスポットライトから遠のいていた。インターナショナル・サブマリン・バンドは、パースンズがバーズに加わる前にアルバムを1枚だけ録音しただけだった。ギターは最近になってやっと話題になった。
アールワイン:クリスチャン氏は私がブルームフィールドの友人でギターを交換した話も知っていた。彼はギターをリペアするかどうかにつての私の意見を信用すると言った。頭のなかでの率直な答えは「NO そのままにしておけ」だった。しかし私は、はにかみながら「参ったな…状態を知るために見ないといけないな」と彼に言った。彼は「OK ギターを送る。信じられない幸運だ!」と言った。
クリスチャン氏は、ギターがアールワインの手元にある間、ひと通りのギターのセットアップを頼んだ。アールワインはそれを引き受けた。が、実際はチューンナップの料金も支払うという事だと笑った。ギターは、潰れたオレンジのヴェルヴェットで裏打ちされた壊れやすい古いエレクトラケースに入って送られてきた。そして今、リペアのスペシャリストになったアールワインの前にブルームフィールドのテレキャスターは巡ってきた。
アールワイン:ケースの蓋を開けた時、ギターは鼓動しているように見えた。何か教会にずっとあるような、そんな強力なフィーリングがあった。しばらくただギターを見ていた…手に取りもしなかった。
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1) ヌースは、黒のラッカーでフレットマーカーをネックのトレブルサイドに沿って付けている。長年のプレーで平滑化され、薄いラッカーのオーヴァーコートもほとんど消えかけている
2) ヌースは、ストラップピンの位置を何度も付け替えて試している
3) ネックプレート シリアルナンバー (L11155)、ネックヒールにスタンプされている。ブリッジ・ピックアップの空洞の下に1963のスタンプ。数ヶ月のヴァリエーションはその当時のフェンダーでは一般的だった
※ネックの日付が8月でボディーが10月だった
4) ネックの薄く硬いグレイのファイバーの小片は、多分、オリジなりのものじゃない。ジョン・ヌースがノコギリで切った残りの部分、薄いが注意深く木工を行った有力な証拠
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5) ネックには2つの変なマークがある。多分、ホッチキスで作られたもの。一つは、フレットボード上の第1フレットとナットの間、もう1つは、ネックヒール側、ボディーに近いところ。フレットは、周期的に取り替えられていたようで、的確なフレットワークだ。勘だが、2番めのフレットセットだ
6) オリジナルのトグル・スイッチが付いてるが、繋がっている1メガのヴォリューム(ポット)には1966と日付が書いてある。このモジュールは、トレブルのレスポンスが効いている。しかしながら、ヴィンテージ・ギターのエキスパートでブルームフィールドの崇拝者G.E. スミスが点検した結果、プレートと全ての電気系は取り替えられていると思うと言った。ネック側のピックアップは6.92キロの値を示した。ブリッジ側は、5.95キロだった
7) その後、ピックアップの専門家 リンディー・フレーリン(Lindy Fralin)と相談して、配線の色やタイプなどから、68年以降に何かと交換されていると結論づけた。またブリッジ側のピックアップのポール・ピースのエッジがシャープだ。63年のものは滑らかだ
8) ネック側のピックアップの簡単な高さ調整のために金属板用のニブラを使ったのだろう
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ブルームフィールドの付けた穴も残っている
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ダン・アールワインの兄、マイケル・アールワインは、デビュー直前のディランと一緒にヒッチハイクをしている。ただの男だったが、デビューして突然『ボブ・ディラン』になって驚いたそうだ。
▼Hitchhiking with Bob Dylan
▼Interview with Jermaine Rogers by Michael Erlewine
『プラグイン45周年記念』でも書いたが、ニューポートでディランは、ほとんどエレキを持っていただけに過ぎず、サウンド面はこのギターが全てだったと言ってもいいほどだ。またLike A Rolling Stoneを始めHighway 61 Revisitedのレコーディングで使用された事を考えても、まさしくこのギターがKilled Folkなギターなわけだが、ただ持って現れたギターは時代のアイコンとして1億円で取引され、かたや…この違いを思わずにはいられない…
「60年代後半、アメリカに住んでいて、このギターのサウンドを聞いていない人なんてほとんどいない。ディランのライク・ア・ローリング・ストーンだ。それはパワフルな曲だ。覚えてるよ、65年夏、公営のスイミング・プールのスピーカーから流れていた。それが何んの曲かは知らなかった。でも今まで聞いた中で一番すごいものだった。それがこのギターだった… 演奏に使用されたもので、これ以上重要な楽器は考えられない」
George Edward "G. E." Smith
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