Planet Waves Sessions


Down In The Grooveがまた面白い写真を見つけてきた



エド・キャラエフ(Ed Caraeff)が撮った写真に、ゲッティがつけたキャプションの内容は支離滅裂だったが、"outside The Village Recording"の部分だけを都合良く信用するなら1973年11月のPlanet Wavesの録音時ということになる。

というわけで、Planet Wavesのミキサー、ロブ・フラボニ(Rob Fraboni)の古いインタビュー記事。ロブ・フラボニはプロデューサー兼エンジニアとして有名な人だ。最初にちらっと出てくるディック・ラパーム(Dick LaPalm)という人物は良く知らない。普段は、レコード・プロモーターという肩書きのようだが、ここではスタジオ・マネージャーということらしい。インタビューは長いので抜粋ということで勘弁していただきたい。


The ‘Planet Waves’ Sessions
Recording Bob Dylan At The Village Recorder

There was no producer on this record. Everybody was the producer

From the archives of the late, great Recording Engineer/Producer (RE/P) magazine come interviews with Rob Fraboni and Dick LaPalm on recording a legend which first appeared in the March / April 1974 issue. by Gary D. Davis






・ディック、どうやってディランのミキサーを決めたの?

Dick LaPalm:3人の候補がいた。それでロブに相談した。二日後、ロブが私のところに来て言った「僕がやるよ」。私は「いいね」と答えた。

・ロブ、どうしてやろうと決めたの?

Rob Fraboni : ボブの音楽を良く知っていた、ザ・バンドも同じくらいに知っていたからというのが主たる理由だ。両方ともファースト・アルバムから聞いていた。他の連中とも話したが、私が一番詳しかった。

・セッションが始まる前に何か彼らに関するものを聞いた? 家で準備してた?

RF:いいや、していない。新鮮な状態でアプローチする、それが私のやり方だ。セッションの前に何かの影響を受けたくない。新鮮な状態で挑みたかった、それはディランとザ・バンドの希望でもあった。

・どうして彼らはヴィレッジを選んだの?

RF:一つには、部屋が良かった事だろう。部屋のサイズが気に入っていた。コントロール・ルームまでの距離も関係しているだろう。そうした事は他のスタジオでも当てはまるところがあるだろうが、ここにはそれに加えて、セキュリティとロケーションという要素もある。ここは中心街から、かなり離れたところにある。

・ディランはどんな種類のアーティスト? ディランと仕事してどうだった?

RF:ロビーが最初に言った事は「僕らは、オーヴァーダブはしない。ライヴでやる。何が起ころうがやるよ」だった。ボブはヴォーカルのオーヴァーダブをやらなかった。

・それって、ディランがスタジオでずーとパフォーマンスしてたって聞こえるけれど…

RF:その通りだ。私に関する限りレコードは本当にライブ(パフォーマンス)だった。「レコードを作ってる」みたいな感じはなかった。ボブの納得がいくまでどんどん演奏した。あんなに信念を持って演奏する人を他に見たことがない。

・アルバムはいつ頃から始めたの? ディランとはどのくらい仕事をしたの?

RF:全てを知らないが、ここでレコーディングを始める2、3週間前にボブは一人でニューヨークへ行き、そこで大半の曲を書いたようだ。Forever Youngはボブが3年間、彼の頭の中であたためていた曲だとボブは教えてくれた。

・レコーディングは全部で何日かかったの?

RF:11月2日の金曜日に彼らはやってきて機材をセッティングし、スタジオの感触を確かめていた。その日は1曲だけ録音した。月曜日に3、4曲録り、火曜日にさらに4曲やった。そこから3曲使った。その後二日休んで、金曜日一日でアルバムのバランスを決めた。

・それじゃぁ録音はたったの3日だけ?

RF:そうだ。土曜日にアルバムを組み立てて、次の日ボブと私、そしてアシスタント・エンジニアのナット・ジェフリーとボブの友人でマスターをつくった。

昼頃にボブが「あとで録音したい曲がある」と言ったので私は大丈夫だと答えた。その後、彼は「まだ準備が出来ていない」と言ったので自分の仕事をしていたら、突然こっち入ってきて「録音しよう」と言ってスタジオに入っていった。それがアルバムの最後に入ったWedding Songだった。

・それはワンテイクだったということ?

RF:彼はスタジオに入りすぐに演奏した。それは息をのむようなものだった。ボブに何をしたのかをきかなかったが、まるで昔のサウンドのようだった。

ミネソタの古い友人ルー・ケンプがそこにいた。一緒にツアーをまわっていた。

とにかく、ボブは録音するためにスタジオに入った。私は録音するためにマイクをセットした。しかし彼は録音してなければ歌うことはなかった。ザ・バンドと一緒に演奏している時でさえも歌は録音出来なかった。それが彼のやり方だった。で、私は録音したいと彼に言ったら「テープは回ってないの?」、「何でテープを回さないの?」て言ったんだ。それでテープを回した。すると彼は歌い始めた。そしてボブが「最初に戻ろう」というまで彼を止めることは誰にも出来なかった。とても厳しいセッションだった。

ボブのジャケットのボタンがこすれる音が入っているが、そんなことは彼は気にしなった。ルーと私は曲にノックアウトされた。私達は2~3回、曲を聞きなおしたらミックスの時までその曲のことは考えなかった。ボタンのノイズを録り直さないかとボブに言ったら「ああ、多分やるよ」と答えた。彼は決して「YES」とは言わなかった。で、あきらめた。

・最後に録音した曲は?

RF:本当の最後の曲はミキシングの最中だった。ボブ、ロビー、ナット、私の4人で2、3曲ミックスした時だった。ミキシングの最中にボブがピアノを弾き始めた。全てが突然だった。ボブがDirgeをピアノでやってみたいと言った。Dirgeは数日前にアコースティック・ギターとヴォーカルだけで録音していた。ミキシングの最中で全く準備出来ていなかったが、すぐにテープをセットした。ボブが「ギターがいるかも」とロビーに言った。ボブがピアノを弾きながら歌い、ロビーがギターを弾いた。そしてもうワンテイク録った、このテイクがレコードになった。一度限りの信じられないパフォーマンス。

・誰かミキシングに参加していた?

RF:ロビー・ロバートソンは、聞くべき音がわかっている。ミキシングするのに良い耳を持っている。ロビーと私は、ミキシング作業を行い、ボブはそこでコメントや提案をした。

・ボブがミキシングで重要視してること、どんなことに注意していたか言い表すことができる?

RF:そうだな、ひとつは彼がある種の音を望んでいたとういことだ。Dirgeのピアノの音は荘厳なものじゃ無く、どこかのバーで弾いてるような音をほしがった。ヴォーカルもそうだ荒いサウンドを望んだ。Dirgeを録音したその夜、私とロビーはプレイバックを聞いていた、そして私は言った「すぐにミックスをやろう」と。それで私達はミックスした。その作業は、何を録音したのかという事に気づくことだった。そこにはユニークな特徴があった。彼にとって重要な沢山の別ミックスをつくった。その後、私達はさらに洗練されたミックスをつくったがそれは採用されなかった。ミキシングが音楽の特徴に影響を与える事に彼は敏感だった。つまり音質よりも、そのことの方が彼にとっては重要だということだ。

・ミキシングにはどれくらいの時間がかかった?

RF:既に数曲のミキシングを初めていた。1日か2日やって2、3日休んだ。いつも昼頃から仕事を始めて8時頃終わった。実にいいかんじだった。例えばHazel…これはファースト・ミックスのやり方を使った。でも、もっと良いものが出来ると感じたので、別に2つのリミックスもつくった。ミキシングの作業を始めてからアルバム全部のミキシングに要したのは3、4日だった。しかしその後さらに録音とミックスのシークエンスに時間を費やした。ボブは最も適したものを見つけるまで少し違うシークエンスを望んだ。

・どこまでプロジェクトに関わったの? マスタリングも付き合った?

RF:ミキシングが終了したあと、彼らは、実質的に全てを私にあずけた。そして曲間の秒数決めとマスタリングの全てを私にまかせた。私は、それを満足する出来に仕上げ、彼らもそれを承認し最終的なゴーサインを出した。

・レコードを見るとケンダン(Kendun Recorders)でカッティングされてるけど、どうして特別なマスタリング屋に依頼したの?

RF:実際、いくつかチェックしてみた。700Hzの信号をカットして正確に比較した結果ケンダンに決めた。

・ケンダンは、ウエストレイク(モニター)だったよね

RF:そう。あそこの音は少し明るい。

・モニターの違いはたいしたことないね。イコライジングに関しては問題なかった?

RF:私は、カッティング・エンジニアのKent Duncanに何もしないと提案し彼も同意していた。私は自分たちのチェックとミキシングを信頼していた。






・出来るならディランのヴォーカルマイクの話をしてほしい

RF:ゼンハイザーの421を使った。他に5、6本チェックした結果だ。

・ディランには好みのマイクがあったの?

RF:彼は以前から421を使っていてそれを気に入っていた。ロビーも421を推薦した。本当の事を言うと今まで421をヴォーカルで使った事が無かったので、私にはその選択は思いつかなかった。

・どれを使ったの?

RF:さっき言ったように、時間が無かったが初日に何本かテストした。SM-53、57、87そして47だ。コンデンサー・マイクはリーケージ(マイク漏れ)の問題があったので使わなかった。ボブはウインド・スクリーンを使わないので、421にはポッピング(歌ってる最中にマイクを吹いてノイズを出すこと)の問題があった。
(※ここで言う「漏れ」は音の「回り込み」の事。コンデンサーは音質はいいが感度が良い分回り込みを拾いやすい。ライブ形式でやる以上、回り込みをなくすことは不可能だが極力おさえたい。ヴォーカルだけ別録りすれば良いのだが、本人がそれをしないと言ってるので無理。音質よりも優先するものがあるのでしかたがない)

・それでどうしたの?

RF:そのままで大丈夫だった。彼はいつもそうしてるみたいだ。

・ディエッサーや他の補正用の機材は使った?

RF:ディエッサーは使っていない。プルテック(Pultec)のフィルターをP(多分ポップノイズの事)のクリップ用に使っている。ヴォーカルは通常は50Hzから下をカットしているが、ナットはあそこに座ってPのために80Hzにスイッチしてるよ。Dirgeの録音の時、私はボブにウインド・スクリーンを使うように頼んだら彼はOKしてくれた。上手く録音出来た。で、さっきの質問…どうやってマイクを決めたか…の答えは、リーケージを聞き比べた結果からだ。

・421のリーケージはどうだった?

RF:バンドの演奏の音量がかなり大きくなっていたのでボブより3~5db押さえていた。ライブで録音していた。15db、トップ、リーケージの上、とんでもないことだった。信じられなかった。メーターを見たら、かすかに動いていた。もうそのマイクに夢中になった。


※インタビューはこの後マイキングの話になる。使ってるマイクは上のセッティング図からもわかるようにかなりのヴィンテージ物だ…。 図の中で一つ気になったのがディランのモニターにマイクがついてることだ。果たしてこれを録音していたのだろうか? インタビューでは全くふれられていない。録音していたら面白い。それにしてもディランは(信じられないくらに)421好きだ。未だに使ってる。ハーモニカを吹くときにいつも持ってるペンキのはげた白いマイク。あれは多分421だろう。

その後ロブは、ディランとバンドのツアー(74年)のサウンドコンサルタントとして招かれた。76年にマリブにシャングリラ・スタジオをつくった。(そのシャングリラも昨年、売りに出され話題になった)












ディランの背景はヴィレッジスタジオの壁だ。その壁の絵は今はもうない。
1616 Butler Ave, Los Angeles - Google street view






Isle of California - Victor Henderson and Terry Schoonhoven ..... california falls into pacific ocean












Photo Ed Caraeff





Planet Waves outtakes by Ashes & Sand

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