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せっかくだから、モノボックスのジャケ写を撮ったシャッツバーグもいっとこう。
今年83歳(1927年生)のジェリー・シャッツバーグ(Jerry Schatzberg)、マイアミ大学を卒業後、Bill Helburnという写真家のアシスタントを2年間(1954〜1956)こなしその後フリーランスとして仕事を始めた。
主にファッション系の写真や人物写真を撮り、ヴォーグ、エスクワイア、マッコール、グラマーなど雑誌の仕事をしていた。また同時にレコードのジャケット写真も手掛けていた。
1970年には、写真撮影で親密になったフェイ・ダナウエイを主役に「ルーという女」で映画監督としてデビュー。1973年の「スケアクロウ」ではカンヌのパルム・ドールを獲得する。
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シャッツバーグの写真はこれまで1966年の「ブロンド・オン・ブロンド」そして 「ブートレグシリーズ vol4 1966 ロイヤル・アルバート・ホール」の2度使われている。2006年には豪華本のジェネシスからThin Wild Mercuryを出版している。
▼Thin Wild Mercury(Genesis Publications)
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シャッツバーグは、ディランとの出会いをこんな風に回顧している。
あの当時、まわりの皆が私にディランに会ってみろと言ってた。サラもそうだった。あの時、彼女はまだサラ・ロウンズだった。サラはディランの事を話してくれた。ディランのアパートの近所に住んでいた。私は、ディランも彼の音楽も知らなかったんだ。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのニコもそうだ。パリ、ロンドン、ニューヨーク....何処にいても彼女はディランの事を私に言うんだ。「ディランを見ろ、ディランを聞け」てね。それでついにディランを聞いたんだ。
実際私がディランに連絡をとったのはそれから2年後の事だ。詳しい経緯は憶えていなが、私のスタジオにアル・アロノウィッツとスコット・ロスがいた。2人はディランの話しをしていた。それで言ったんだ「今度ディランに合ったら私が写真を撮りたがっていると、伝えてくれないか」と。
2、3日してサラから連絡があった
「ボビーは、あなたの話しを聞いたみたいよ」
「そうなんだ、写真を撮りたいんだ」
「とてもいい話しだわ」
彼女は、ディラン達が何処でレコーディングするかを教えてくれた。そして彼に会った。ディランはとてもシャイだった。私もどちらかというとシャイな方だった。
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シャッツバーグはそこで、ディランの写真を撮った。ピアノを弾くディラン、歌うディラン、リラックスしているディラン等々、何枚かとても面白い写真も撮れた。しかし撮ってるうちにこう思った。
「レコーディング・スタジオに入って、ディラン達が仕事してる様子を写すんだったら別に誰でも撮れるじゃないか。もっと自分らしい特別な写真を撮りたい」
そう考えたシャッツバーグはディランを自分のスタジオへ誘った。
「撮影に際し、特別な小道具とかそういったものは考えていなかった。しかしディランはスタジオに入ってくると、普段、私が仕事で使ってる小道具を拾い上げたんだ。彼はスタジオを見渡した。彫刻、十字架、本、アイロン台、タバコ、絵...そういったものを使って色々と生み出した。私は沢山の素晴しい写真を撮った。とてもユニークで有意義な時だった。その後、彼のアルバムBlonde on Blonde の見開きジャケットの写真を依頼してきた」
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シャッツバーグの写真を見てまず驚く事が「ディランがポーズをとっている」事だろう。しかしそのポーズはシャッツバーグが指示したものでは無く、ディランが自発的に行ったものだ。
シャッツバーグはラッキーだったのだろうか?
シャッツバーグはモデルに対し具体的な指示を一切しない。それがシャッツバーグのスタイルだ。彼は人がレンズに対し警戒心を抱く事を知っている。
70年代に入り映画監督の道を進むが、シャッツバーグのアプローチはその後ノーマン・シーフなどによりさらに突詰められたように思われる。
ところで、シャッツバーグはディランに関連する3人の女性にも関わっている。が、別にディランに紹介したとかそういう意味では無い。たまたまそういう時期だったのだろう。
最初は勿論、サラ。ディランを知る以前からサラとは面識があった。しかし彼はディランとサラとの出会いや詳しいことは知らない、或は思い出せないと言っている。
もう一人はクラウディア・カルディナーレ。ブロンド・オン・ブロンドのインナーに使われていた写真。シャッツバーグの写真の中からディランが使いたいと言って選んだらしい。
最後はイーディ・セジウィックだ。
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▼ボブ・ディラン、『ファクトリー・ガール』の公開を阻止
実際、当時はディランよりボブ・ニューワースの方がより親密であっとの見方が一般的だ。
▼イーディ・セジウィック1966
これも有名な写真......フランク・ザッパ子
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