ディランの訛り


「カム・ホーム・ボブ」に関連して思い出した記事がある。昨年8月、アトランティック・マンスリーに掲載されたグレーム・ウッド(Graeme Wood)氏の記事




ウッド氏は、ディランのあの独特な歌い方と訛りに長年に渡り興味を持っていた。


Joyce Carol Oates
「私は、長年、ディランのトーチャード・ホィーズ(torturedwheeze)がどこから来たのか、そして何故、彼だけがそれを持っているのかが不思議だった。彼は21歳の時に発表したアルバム"ボブ・ディラン"で既に独特の訛りで歌っている。ならば、それ以前の若い時期に何処かで"それ"を手に入れたに違いない。

ジョイス・キャロル・オーツが "もし紙ヤスリが歌う事が出来たなら" と例えるくらいに彼の声を嫌う多くの人がいるが、だからといってそのことで彼の成功を止めることは出来ない」

ウッド氏は、さらに多くの情報を得るために、ディランが育った町、ミネソタのヒビングへ向った。ディランの訛りに関する情報は、ここにしか無いと考えたからだ。ヒビングに着いた彼は、1950年代のディラン一家を知る人がいないか、また、ディランのような訛りを持つ人がいないものかと町をドライブしながら探した。

「スポーツクラブでジャキという女性と話した。彼女はディランの少し後輩だったが、彼女も彼女の兄弟もロバート・ジマーマンを知っていた。私は彼女に"ヒビングの人が皆ボブ・ディランのようにしゃべるって本当ですか?"と尋ねた。すると、彼女は目を細めそして無愛想に、"それは、ボブ・ディランがヒビングの人のようにしゃべるって本当ですか?"という意味か?と訂正された。ボブ・ディランの話しを持出すことは、彼女にとって最悪な事だったらしい。

彼女はディランを嫌っていた。ディランの両親は本当に素晴しい人だが、その息子は恩知らずの高慢なクソッタレだと彼女は言った。1920年代に建てられたヒビング高校の大講堂。採鉱の利益で建てられアールデコで飾られたその講堂でディランは初めてコンサートを開いた。しかし彼の音楽が理解される事は決して無かった。

ディランにその才能が無かったからではなく、ヒビングが彼を拒否したからだ。つまりそれほどに嫌なヤツだったからだとジャキが言った。"1度だけディランとつき合った子を知っている"ジャキが言った"1回で十分だ"

北部ミネソタのように多様に固定した地域では、訛りは特にやっかいだ。ヒビングは採鉱の仕事を得るために少なくとも50の民族が移住してきている。そんな鉱夫達の平均的な訛りは、ハンガリー語、スウェーデン語、フィンランド語、アイルランド語、イディッシュ語、チペワ語などだ。いったい、どの音がディランに似ているのか?」

ジャキと別れたウッド氏は、仕事を終えて居酒屋にやってくる人達のしゃべり声を聞こうと店内をうろちょろするが、かすかにしか聞えない。しかし、うろついてる間に、ディランのように鼻音性の話し方するアーニーという製鋼工を見つけた。そして彼に訛りについて尋ねてみた。彼はピッツバーグで育ったらしい。


1956年
「アーニーは友人と酒を飲んでいた。彼はヒビングで高齢者介護の仕事をしていた。そしてそこに、ディランにとても良く似た話し方をする誰かの母親がいた。その誰か・・・それはリロイ・ホイッカラ(LeroyHoikkala)だった。ディランの同級生で友人、ヒビング高校でのディランのバンド仲間。リロイはディランのバイクの共同購入者でもあった。

私はホイッカラに電話して事の経緯について話した。私は、ただホイッカラの話しが聞きたかった。そしてその訛りが何処から来たのかを知りたかっただけだ。彼が合うことを拒んだとしても、私にそのことを告げるために話しをしなければならない。その話し方がディラン風のホィーズだったら理想的だ。

そしてついに彼と会う事になった。彼は、礼儀正しく私の助けになった。少しディランの声に似ていた。少なくとも初期のディランには似ていた。

あの時代、ヒビング訛りは多種多様だった。ホイッカラは言った。彼が移民コミュニティーの民族を注意深く追跡していくことで見えてきた。ホイッカラはフィンランド系アメリカ人だったと思う。彼がディランの歴史を注意深く辿れば、大先生は、フィノヘブライミネソタンを話していると言うかもしれない。そしてグリニッジ・ビレッジを経由しているという事が、ディラン以前にそれを聞いたことが無いということの説明になるかもしれない。

帰り道、私は車のCDチェンジャーで「レイ・レディ・レイ」を選んだ。今まで何百回と聞いてきた曲だがこんな新しい感覚で聞くのは始めてだった。ホイッカラでもヒビングでもニューヨークでも無く、ディランの音で私の仮説がうち破られても「レイ・レディ・レイ」は素晴しい曲だ。でもジャキが指摘した高慢なクソッタレには同意する」

ディランの唯一無二の訛りという仮説は、どうやら見たて違いだったようだ。ディランの訛りは時代の偶然だと言えるのかもしれないが、それがたまたまグリニッジ・ビレッジに出てきて世界中に広まった。彼がグリニッジ・ビレッジに現れなかったらどうなっていたかわからない。

※トーチャード・ホィーズ(tortured wheeze)の訳がわからなかったのでカタカナで表記した。直訳するなら「苦しそうなぜーぜー音」


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※The Rocketsというグループでドラムを叩いてるのがホイッカラさん

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