クリス・ボッティ来日中


と言っても興味無いかもしれないが......たまには、おしゃれな男前を......おっさんだけど。

クリス・ボッティと言えば、その経歴に必ず、「ディランと共演した」とか「ディランのレコーディングに参加」と紹介されているが、これは一体いつの話しなのだろうか?

彼は確かに、ディランと同じステージに立っている、それは1999年ポール・サイモンとディランのツアーだ。ボッティはポール・サイモンのバックバンドとしてこのツアーに同行している。

が、このことでは無いと思う。何故ならインタビューなどでいつもディランの事を尋ねられるボッティは「そのキャリアが自分のファーストアルバムを作る時に役立った」みたいな事を言ってるからだ。

ということは、これは1995年(彼のファーストアルバムリリース)以前の話しであり、また彼のプロとしてのスタートから考えて1986年以降ということになる。

つまり、1986年〜1995年の間にディランとの接点があるという事だ。アルバムで言うと

ノックト・アウト・ローデッド(1986年)
ダウン・イン・ザ・グルーヴ(1988年)
オー・マーシー (1989年)
アンダー・ザ・レッド・スカイ(1990年 )
グッド・アズ・アイ・ビーン・トゥ・ユー(1992年 )
奇妙な世界に(1993年)

だが.....

まぁ、この件は、何か勘違いをしているのかもしれないし、よくわからんので放置している。

クリス・ボッティを知ったのは10年ほど前だ。スムース・ジャズの世界でデイブ・コズがぐいぐいと前面に出ていた頃、彼は、その隙間から少しだけ見えていたという感じだった。しかしトランペットというだけで何故か目立っていたように思う。いや新鮮だったと言った方が正しいかもしれない。

彼は、バラードを得意としている。インタビューでこんな風に言ってる。
「トランペットは暗くメランコリックな音色がする。それはバラードに適しているんだ。ショーが終ってみんなが僕の所にやってきて、泣いてしまったとか眠りこんでしまったとか感想を言ってくれることが大好きだ。僕の音楽が明らかに彼らに影響を与えている。それ以上一体何を望めばいいんだ。バラードには何かがある。マイルス・デイビスのバラードの吹き方が好きだった。マイルス・デイビスは確かに相当な量のエネルギーと高度な技術で演奏していたけど、彼はそれをバラードでやっちゃたんだ。素晴しいトランペット・プレイヤーはみんなバラードを演奏した。そして僕はいつもバラードに感謝している」

生のトランペットは相当にやかましい楽器だ。だから今回のように普通の小屋で演るのは良い。しかもS/5,500円、A/4,500円.......安いくない? さすがは、サモンプロ

つーかこの時期ベックだよな、普通(苦笑)。

ところで、ディランの中国公演、香港のメディアが報道しNew York TimesやTelegraph、The Guardian、なども「中国が許可しない」と報道している。まぁ中共が許可しなかったのは事実かもしれないが・・・というわけで、「ボブ・ディラン 聞いてないアルヨ」少しだけアップデートした。

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