Dont Look Back


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D・A・ペニベイカー:あの当時、私たちはタイムライフ内にオフィスを持っていて、そこでタイムライフの仕事を6、7本くらいやってから自分たちの会社…といっても従業員が2~3人の小さな会社を始めた。リッキーと私はLeacock Pennebakerという小さな会社を49番街おんぼろビルの最上階で始めた。

グロスマンがちょくちょく来るようになって、あるとき「これからイギリスに行くんだが、一緒に行かないか?」ときいてきた。彼が私の作品を見ていたのかは知らないが、ディランは私の"Daybreak"という短い作品を見ていたと思う。あの頃サラと一緒に仕事をしていたので、彼女がディランにコピーを渡したんだと思う。サラはタイムライフ(Time Life)で働いていて43番街のタイムライフの事務所と私たちの事務所を繋ぐような仕事をしていた。彼女は長くそこで働くつもりは無かったようだが、私たちが居たときにはずっと居た。その後辞めたと思う。

"Daybreak"の他にリックと作ったチェロ奏者、パブロ・カザルスとハンガリーへ行ったTV番組。そのCBSの番組もディランは何処かで見たと何年も経ってから知った。

それが知ってる全てのことだ。彼らが何故私を誘ったのかはわからない。彼らは「ついてくるか?」と言っただけで他に何も言わなかった。それは、彼らが私がカメラを持ってくるだろうと思ってること事を意味している。しかし、フィルム代は自分で支払った。

何も指図されなかった。必要なことは何でも自分でやった。彼らの誰もが、フィルムを作るために人を雇う方法すら知らなかった。今までそんなことをしたことが無かった。ハワード・アルクがカメラマンになるつもりだったから、彼のためにカメラを用意した。ジョーンズ・アルクが音のことを知ってるようだったので彼女に録音をしてもらおうと思った。全てのコンサートをテープに録音するつもりだったので、そのためにボブ・ヴァンダイクを連れて行った。

"Subterranean Homesick Blues"のあのキューカード…あのカードは、ほとんどがロンドンの何処かへ吹き飛ばされていった。最後のヴァージョンをロンドンのホテルの屋上で撮ってたときだ。そのヴァージョンを知ってるかは知らないが…2つのヴァージョンがあると言われているが実際には3つある。ホテルの裏の公園から始まるものがある。撮影中に警察官に後ろからつかまれたのでちょっと雑になった。

カードが吹き飛ばされてそれを取り戻そうとはしなかった。そうするべきだったかもしれないが、吹き飛ばされてどうしようなかった。

Dont Look Back
Director: D. A. Pennebaker
Produced by :John Court, Albert Grossman
Release Year: 1967
Country: USA
Running Time: 96
Cinematography by:Howard Alk, Jones Alk, Ed Emshwiller, D.A. Pennebaker



Don't Look Back







65 Revisited




The Outtakes

We are pleased to present 80 minutes of outtakes from the D.A. Pennebaker documentary ‘Don’t Look Back.’ There are another one hour and twenty minutes of precious footage which we shall reveal in our next segment. As always, we hope our faithfull friends dig this historical find. In 1998, the film was selected for preservation in the United States National Film Registry by the Library of Congress as being “culturally, historically, or aesthetically significant”.The film was first shown publicly May 17, 1967, at the Presidio Theater in San Francisco, and opened that September at the 34th Street East Theater in New York.
(だそうだ…)

Eat the Document

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1966年、D・A・ペニベイカーがアメリカABC TVのシリーズStage '66のために撮ったドキュメンタリー。主に66年UKツアーが中心となっている。撮影は完了していたが、バイク事故により編集が遅れた。ディランの回復と共にディラン自ら編集を行うが、大方の視聴者にはわけがわからないとボツにされた。ハワード・スーンズによればバイク事故の後、ペネベイカーとボブ・ニューワースが編集したものをディランが見たようでそれはDont Look Backにそっくりだったそうだ。映像編集の知識が全くないのにディランは、ハワード・アルクとゴードン・クインと共にフィルムの再編集を行う。「車をガレージに入れる事を学ぶわけじゃ無い。彼は何も知らなかった」ペニベイカーが言う。結局、ディランとアルクのヴァージョンはABCから拒否される。No Direction Homeの"Judas"や巷に出回ってるディランとジョンのタクシーでの映像は勿論この映像からだ。Eat the Documentは、1971年、ニューヨークのアカデミー・オブ・ミュージックで上映され、その後、ホイットニー美術館で2週間上映された。


D・A・ペニベイカー: ディランが別のフィルムを撮りたいと思ったいたようでそのために私は、彼がオーストラリアへ向かう途中のロサンゼルスで会った。ドント・ルック・バックは既に終わっていたがまだリリースはしていなかった。たぶん、そのことは彼には言ってなかったと思う。彼は新たにフィルムを制作したいと言ったがそれはドント・ルック・バックみたな物じゃ無いと言った。彼が何をしたいのかよくわからなかったが、彼がディレクションをしそして私に撮影をさせたかったようだった。それは彼のフィルムであり私のすることは撮影するだけだと理解し同意した。

イート・ザ・ドキュメントは、ドント・ルック・バックと全然違う。この2つには明確な違いがある。ドント・ルック・バックは私の物で後でいろいろな物を共有した。我々はパートナーだったからだ。沢山の素材ののコピーをディランに渡した。しかし、イート・ザ・ドキュメントはABCのプログラムで、そのことが問題だったと思う。ABCはとても神経質になっていた。1時間のプログラムなのに、誰が何をしてるのか何が出来てるのか誰も知らなかったからだ。もうそれはミステリーめいていた。

それでアルバートがディランと私に「ABCに見せることが出来るように、二人でこれをまとめてほしい」と言った。私は「俺の責任じゃない、俺はただのカメラマン」だと言った。ABCが「フィルムは、どうなってるんだ」と言ってきたので「グロスマンと話せ」と言った。

アルバートが連絡して来た「我々はここで何をするんだ? 始める準備は出来てる」と。

それで、ディランと私はそれをまとめた…それは、本当にフィルムのスケッチのようなものだった。しかしそれは確かにディランがしたかったことでは無かっが、私の知ってる唯一の方法でそれを行った。そしてディランがそれを始めると決断した。それで、何処かでオートバイ事故を起こした。

オートバイ事故のことは色々きいたが、私自身よくしらない。私の知ってることは彼が確実に何かから回復したということだ。それで編集機をセットしてアシスタントの映像編集者をつけて数ヶ月仕事をした。ベアズヴィルで。

そのフィルムのスケッチのような作品(Something is Happeningというタイトルで呼ばれている)はABCをなだめるのにアルバートのために作ったものだ。2~3人が見ただけで他に誰も見ていない。ディランのものと競争になるのが嫌なので秘密のままにしている。まだその辺にあるだろう。これは私の作品だ。遅かれ早かれ、日の目を見る時が来るだろうが、近い将来じゃない。


Eat the Document
Director: Bob Dylan and Howard Alk
Release Year: 1972
Country: USA
Running Time: 54
Filmed by: Don Alan Pennebaker and Bob Dylan.





PS
139曲、30秒のサンプルの試聴が可能だ
The Basement Tapes Complete: The Bootleg Series, Vol. 11 (pano)




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