オールド・クロウ・メディスン・ショウ
Rock Me, Mama から
Wagon Wheel へ…
家族旅行でロンドンを訪れていたクリター・フュークア(
Critter Fuqua) は、ヴァージンメガストアでボブ・ディランの海賊版を手に入れた。それは、14~5歳の頃だった。フュークアは、その海賊版に収録されていた
Rock Me, Mama (
Pat Garrett and Billy The Kid のアウトテイク) を友人のケッチ・シーコア (
Ketch Secor)に聞かせた。
Rock Me, Mama -
Bob Dylan (1973)
[...]
Don't go looking at the moon tonight,
ah don't get [...] by the moon tonight
no way
[Hey my molly won't you say goodbye]
[...] wondring why
I know it's alright but I don't cry
no way
Rock me mama to the wind and rain,
Rock me mama like a fast (south) bound train
Hey, mama, rock me.
Rock me mama, like a wagon wheel
Rock me mama any way you feel
Hey, mama, rock me.
Rock me mama to the wind and rain,
Rock me mama like a fast (south) bound train
Hey, mama, rock me.
Rock me mama to the wind and rain,
Rock me mama like a fast (south) bound train
Hey, mama, rock me.
Rock me mama, like a wagon wheel
Rock me mama any way you feel
Hey, mama, rock me.
Rock me mama like the wind and rain,
Rock me mama like a fast (south) bound train
Hey, mama, rock me.
Rock me mama, like a wagon wheel
Rock me mama any way you feel
Hey, mama, rock me.
[Old child running on the ...]
[... child trodding ...]
[...]
[...] looking on the road tonight
[...] shinin' on a blue moonlight
[...]
Rock me mama like the wind and rain,
Rock me mama like a fast (south) bound train
Hey, mama, rock me.
Rock me mama, like a wagon wheel
Rock me mama any way you feel
Hey, mama, rock me.
シーコア:それはまだスケッチのようなものだった。雑な録音で、ブーツを踏みならす音ばかりが目立っていた。ぼやけたコーラス、聞き取りにくいヴァース…完全なものにするのは困難だった。
しかし、その曲はシーコアの心を捉え続けた。
数ヶ月後、ニューハンプシャーの高校に通っていたシーコアは、新たな詩とヴァースを書き加え曲を完成させた。
シーコア:他の何よりもボブ・ディランを聞いてきた。4年間、ボブだけだった。まるで学校の授業のようだ。全てのアルバム、全てのアルバムのアウトテイク、手に入る全てのライブレコード、見に行ける全てのライブ。ボブにはまっていたティーンエイジャーだった。
Wagon Wheel -
Old Crow Medicine Show (2004)
2003年、シーコアが曲の著作権を模索していた時、
Rock Me, Mama のタイトルと歌詞の由来となった曲を見つけた。それは、
アーサー・ビッグ・ボーイ・クルーダップ (
Arthur “Big Boy” Crudup) の
Rock Me Mama だった。
Rock Me Mama -
Arthur Crudup (1944)
※
Rockin' Chair Blues (Rock Me Baby) -
Big Bill Broonzy (1940)
※
Rockin' and Rollin' -
Lil' Son Jackson (1950)
シーコア:ある意味、完成するのに85年かかったようなものだ。
2004年、
Wagon Wheel は正式にリリースされた。ディランとシーコアは、共同制作者として書類にサインし、ロイヤリティは、50/50とした。
Wagon Wheel はオールド・クロウ・メディスン・ショウ (
Old Crow Medicine Show) の 代表曲となった。
シーコアが、ディランの息子ジェイコブにこの話しをした時、ジェイコブは言った「それはティーンエイジャーだったから出来たんだろうな、30代だったらボブ・ディランの曲をやろうなんて誰も思わないよ」
フュークアは「ディランと1度も合ったことも無いのに、共同制作者だなんて、おもしろいね」と言った。
▼
How Bob Dylan Co-Wrote Darius Rucker's 'Wagon Wheel,' 40 Years Ago (Rolling Stone)
ギンズバーグが言ってたトーチの引き継ぎ…だな…
まぁ、ワゴン・ホイールと言えば、ルー・リード by デイヴィッド・ボウイやけどな(笑)。
共作 (
Co-Wrote) で思い出すのは、やはり「イージー・ライダー」。
デニス・ホッパーはイージー・ライダーのエンディングに、ディランの
It's Alright, Ma が使えたらクールだと思っていた。しかしディランから
OKが貰えなかった。しかたがないのでロジャー・マグインにカバーをやらせる一方で、ディランにも映画のために新曲を書いてほしいと頼んだ。
彼らの構想では、最後のキャンプファイヤーのシーン、再びバイクにまたがりロードに出る。そこで
It's Alright, Ma のこの歌詞が流れるてくる
question in your nerves is lit
Yet you know there is no answer fit to satisfy
Insure you not to quit
To keep it in your mind and not forget
That it is not he or she or them or it
That you belong to
だったが、実際はマグインのディラン風カバー曲が流れ、歌詞も冒頭の部分が使われた。
新曲を頼みに、最初はデニスが行き、断られ、次にピーター・フォンダが行った。その時ディランは言った「あんなエンディングはダメだ! ピーター、帰ってくれ」そしてペンを取り、そこにあったナプキンに
The river flows
it flows to the sea
wherever that river flows
that’s where I want to be
Flow river, flow
と書き、ピーターに渡した。そして言った「それをマグインに渡せ、彼ならそれで何をするべきかわかるだろう」
マグインは
Ballad of Easy Rider を書いた。
プライヴェート上映で映画を見たディランは
Ballad of Easy Rider に自分の名前が
Co-Wrote としてクレジットされているのを見て、マグインに「何で俺の名前があるんだ、金もいらないから、俺の名前はずせ」と連絡した。
ディランがクレジットを外せと言った理由は色々言われている、映画を気に入っていなかったとか、映画の信憑性を上げるのに利用されるのが嫌だったとか…、まぁディランはマグインに仕事を「丸投げ」したんだから、自分がクレジットされてるのはおかしいと思ったんじゃないか、いくらなんでもたったの1行、詩を書いただけで
Co-Wroteなんて言ったら今度は「どんだけ、がめついねん」て言われるやろ。つーかマグインと並ぶのが嫌だったに決まってるわ(笑)。
More Dylan and Arthur Crudup ...
That’s All Right Mama -
Arthur Crudup (1946)
That's Alright Mama -
Bob Dylan (The Freewheelin' Bob Dylan 1962)
That's Alright Mama -
Bob Dylan (Another Side of Bob Dylan 1964)
That's Alright Mama -
Johnny Cash with Bob Dylan (1969)
こういうベタな話しは、ちょっと恥ずかしいなぁ(苦笑)
Grooveshark…やっぱり、超便利やけど超不便やな…
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