ディランの役に立てなかった


それは夢にまで見ていたギグだ。14歳の時から僕がしたかったのはボブ・ディランのベースを演奏することだけだった。プロデューサになった時も考えた、ボブ・ディランのプロデュースが出来たら、それは最高だって。それが実際に起こった。でも宇宙が一緒にやってきた。そこに僕がいた。ボブ・ディランと一緒に



1990年。アルバム、"Under The Red Sky" のプロデューサーとしてディランに指名されたドン・ウォズ。「プロデューサーとして仕事を始めたばかりの頃だった。自分がつくったミスがあった…」と当時の様子をCBS Localに語った。





アシスタント・エンジニアがドンとディランの会話を全て録音していた。数年後ドンはそのテープを聞き、自らの未熟さと想像力の無さに愕然とした。

ドン・ウォズ:ボブはピアノのわきに立っていて「やりたいことがある」って言ったんだ。でも僕は、「どうして? 上手くいかないよ」って…試すことすらしなかった。もしかして、今までにない凄いことだったかもしれなかったのに、これだったら、じゃまをしてるようなもんだ。もし、自分がボブ・ディランなら、とっとと家に帰っただろう、そして二度とあの男を自分のまわりに近づけるなって言っただろう。

彼は続ける。

ドン・ウォズ:自分のことを恥じている。まるで、一人のボブ・ディランファンのようになって考えていた。"Highway 61" が大好きだった。だからボブが "Highway 61" のようなものをつくれば凄いじゃないかって思った。僕は彼を昔に戻そうとしたが、ボブは前に進もうとしていたし別なことをやろうとしていた。君ならどっちをやる? 自分自身を真似しようなんて思わないよね。何か新しいことにチャレンジするよね。


彼はこれを教訓だと捉えている。

ドン・ウォズ:これは教訓だ。レコードをプロデュースすること以上に大事なことだ。こんなことはやっちゃあダメだ。繰り返さないでほしい。過去はやり直せない。僕は、ボブ・ディランの役に立てたとは思えない。

実際、ディランこの後7年後の "Time Out of Mind" までの間、新曲を録音しなかった。今までディランがアルバムでやってきたこと、それはルーツ・ミュージックに大きな影響を受けている。そしてドンはディランが "Under The Red Sky" のセッションでその流れに乗ろうとしていたのだと気がついた。

ドン・ウォズ:後になって、ボブが何をしようとしていたかを気がついた。実際 "Under The Red Sky" とここ10年のアルバムを聴けばそれが "Tempest" に繋がる、それは、その中のベストだと思う。僕はそれらの全ての要素のルーツが "Under The Red Sky" の中にあるのを初めて聞くことができた。

Don Was On Producing ‘Under The Red Sky’: ‘I Don’t Think I Was Of Great Service To Bob Dylan’ (cbs local)

※ストーンズ編
Keith Richards To Don Was: ‘Are You Sure You Want To Be The Meat In This Sandwich?’
(お前は、このサンドイッチの肉になりたいのか? )

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uncutの記事から
Life with Bob Dylan, 1989-2006

デイヴィッド・リンドレイ:ディランはいつだって最高の権威だ。ドンだって彼に従う。でも時々とても上手いやり方で主張する。そんな時ディランは、ドンの話を聞きそして言う。「No No 自分のやり方が好きなんだ」そうさ、これはみんなディランの曲なんだよ。

ロベン・フォード:ドンはディランを崇拝していたけど、プロデューサーだから彼をコントロールしていた。ドンが床に腰をおろしてディランにきいていたのを覚えてるよ。「それでボブ、ずっと不思議だったんだけど何で僕なんだい?」てね。ディランは何も答えなかった。スタジオをおさえたり、バンドを選んだり、環境を整えたり、ドンはとても影響力を持っていた。でも彼はハングバックするのが好きだった。アーティストにもそうさせた。"Under The Red Sky" そのコンセプトは毎日、違うバンドで録音することだった。面白いコンセプトだ。

ロベン・フォード:その日、僕らは4時間ほどレコーディングしていた。ディランが言った「ドン、今日は何テイク録る?」。それは陽気な感じだったと思う。でもドンは「わからない…5テイクかな?」て答えた。ディランは言った「OK、そのくらいだと思ったよ」。覚えてるよ、その日はもっとやりたかったんだ。二人に何かあったんだ。



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