Nashville Skyline


クライヴ・デイヴィスの話


アルバム Nashville Skyline 。ディランは当初そのアルバムタイトル John Wesley Harding, Volume II にするつもりだったようだが、レコード会社は別のタイトルを希望したようだ。
ボブ・ディラン『ナッシュヴィル・スカイライン』知られざる10の事実(RS Japan)

引用元のオリジナルインタヴュー
Bob Dylan Talks: A Raw and Extensive First Rolling Stone Interview


アルバムはNashville Skylineと名付けられるわけだが、実はソニー側はそのNashville Skylineを変更したいと考えていたようだ。

以下は当時ソニーの社長だったクライヴ・デイヴィスの手記から…
数年前に自分用に訳したものだ。

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John Wesley Hardingを出した後、彼とグロスマンの関係が悪化した。全ての理由を知っているわけではない。私自身、アルバートとの関係は良好だった。結局、状況は好転せず二人の関係が断ち切られた事が明らかになった。それは私が立ち入る問題では無かったし、実際の所あまり知らない。一方で新たにマネージャーを探す様子も無いディランを心配した。マネージャーが居ないことでプライヴァシーを守る傾向が高まりウッドストックにひきこもってより孤立してしまうのでは無いかと心配したのだ。

あるときディランがJohn Wesley Hardingの売り上げが良くない理由を私に尋ねた。私はアルバムの中から強力なシングルをリリースしなかったからだと答えたが、そのような会話から彼がそのことについて答える事は無かった。しかし、彼が全てを吸収していると確信していた。そしてそれがいつ吹き出してくるかはわからないのだ。

レコーディングが終了すると彼はテープを送ってくる。そしてリリースのスケジュールやアートワークなど色々と議論する、そして可能ならばシングルの話をする。シングルについての話し合いは、いつも厄介な物だった。私は、もし売り上げの事を心配しているのなら、聴衆に曲を届けるのにAMラジオシングルは不可欠だと強調した。ディランは「友人の誰もAMラジオなんか聞いていない、それが一体どれだけ重要なんだ?」と言った。

まさにそれがポイントだった。

彼の友人は典型的なオーディエンスで、これからもディランを聞き続けるだろう。私たちはそこを超えたかった。つまり客層を広げたかったのだ。そのためにはAMラジオは鍵だったのだ。いつも議論したが結論には達しなかった。問題があるとそれが以前に話したことであっても毎回すべてのポイントをチェックしなければならなかった。

Nashville Skylineを聞いた時、すぐに好きになりその可能性に興奮した。アルバムはディランの静かな生活を反映していたし素直に書かれていた。そうした要素は以前の難解なアルバムよりわかりやすく大衆に受け入れられ易いと感じた。そのうえ声もなめらかになり、粗野で乱暴な部分も消えていた。彼はタバコをやめたからだと言ってたが、誰にもわからない。商業的展望においてそれはちょっとしたプラスに過ぎないと思えた。一方で私はアルバムのタイトルを変えてほしい思い何度か話し合った。彼はナッシュビルでレコーディングしたが、それは以前のアルバムでもやっていた。ことさらそのことを強調する必要は無かった。確かにカントリーの要素を含んだ曲はある。しかし文字通りカントリーのアルバムでは無い。このタイトルでは誤解を招くとかもしれないと感じた。さらに重要なことはロックファンに見向きもされないと確信していた。

ロックとカントリーのミュージシャンは互いに接近していたが、双方のファンはまだ離れたままだ。ディランが沢山のカントリーファンを引きつけることに疑いを持っていたし、彼の普通のファン(ロックとシンガーソングライターの領域)をも遠ざけるかもしれない。そのような話をディランにしても彼は「後で連絡する」と言うだけだった。それはほとんど「あなたに直接言いたくない」という意味だったが、時には考えを変えて返事をしてくることがあった。私の戦略はシンプルだ。本当に正直に彼にアドヴァイスする、そして返事を待つ、それだけだ。

今回は、ディランが連絡して来た、彼は考えた末、多分、私が正しいと、そしてタイトルを変更するべきだと…しかしジャケットはもう出来上がっていた。最後に議論してから1ヶ月経っていた。遅すぎたと言わざるを得ない。もう変更できない。

彼の憂慮さらに深まり「タイトルが販売に影響を与えると本当に思ったのか?」と訊いてきた。私は「どのレコードが売れて、どれが売れなかったか、それには沢山の要素が含まれている。コロンビアはできる限り強力にレコードをプロモートする。好意的なレヴューが出たら我々は上手くやっている」と説明した。そしてシングルヒットがでれば、なおさら上手くやったと思うと付け加えた。そうした話が効果的だったのかわからないが、ディランはシングルをリリースする話に耳を傾けた。

ある日、近所に行くからアルバムの事でオフィスに行っても大丈夫かと連絡してきた。彼が来るとアルバムに関する沢山のアイデアと沢山の質問を浴びせられた。彼がシングルには何が良いかと訊くので、躊躇なくLay Lady Layと答えた。彼は酷く驚いた。

彼はしょっちゅう歌詞でトラブルになっていたから、その曲の性的な暗示がまた妨げになると思ったのかもしれない。そのことは理解できるが、二股をかけられるかもしれないと思ったのだ。1969年、セクシャルレヴォリューションは最高潮に達していた。エロティックな感覚は時勢に合っていたのだ。しかしながらその曲は、暖かく、デリケートで、メロディアスなバラード、誘惑、それは下品な誘惑じゃ無い。今まで誰も聞いたことの無いディランの側面、コアなファンだけでなく、一般的な音楽ファンにもアピール出来るもの。ディランは何がヒットになり、何がヒットにならないかを全く理解していなかったことを認め、私に任せた。私はベストだと思うことをやるだけだった。

Nashville Skylineからの最初のシングルはI Threw It All Away。より優しいトーンにシフトしたバラード。そしてLay Lady Lay。トップ10に入りNashville Skylineの売り上げを後押しした。ジョニー・キャッシュとのデュエット、Girl from the North Countryも別の面から売り上げを支えた。

キャッシュは、初期のディラン支持者の一人だった。当時の彼はロックとカントリーの境界を粉砕し、音楽界で最大のスターの一人になっていた。彼はアルバムのライナーノーツを書いたが、それはディランのアウトサイダー的な立場を損なうこと無く、ユニークな信頼を形成した。Nashville Skylineのあのライナーノーツ。彼以外の誰にもディランのために書くことが出来ないものだった。エドサリバンショーでのネガティブな経験以来、そのようなTVでの露出を避けてきたディランだが、キャッシュの誘いで彼のTV番組にも出演した。当然、ディランのTV出演でキャッシュも利益を得た。

ディランとキャッシュ、二人のコロンビアのアーティストの活躍は喜ばしい事だった。Nashville Skylineの成功は、他のことにも結びつきコロンビアは順調だった、そのことで私はディランコードを解いたと思うようになった。お互いを理解しコミュニケーションも順調のように思えた。彼はNashville Skylineの大ヒットとLay Lady Layのトップ10入りをとても喜んでいた。私は彼の創作性や立場を損なうこと無く観衆を増やす方法を見つけたと感じていた。我々は、すでに達成した物をさらに膨らませる準備が出来ていた。


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クライヴ デイヴィスとディランの関係は古い。The Freewheelin' Bob Dylanに収録予定だったTalkin’ John Birch Paranoid Bluesを歌詞の内容から収録を止めることを直接ディランに通達したのが、当時ソニーの顧問弁護士だったクライヴ・デイヴィスだった。

デイヴィスはグロスマンと別れて一人でいるディランを何かと気にかけていたようだ。レーベル(ソニー)の社長という立場上それは、ビジネスライクなものだったが、ディランとは常に連絡を取り合っていた。

作品を作りっぱなしで後のフォローをしないディランに「少しは営業活動や会議にも出席しろ」と言い続けるが、ディランはぐらかすばかりだった。よほど言われていたのだろうか、そのインタヴューでディランはヤン・ウェナーとこんなやりとりをしている。

Why have you chosen to do this interview?
‘Cause this is a music paper. Why would I want to give an interview to Look magazine? Tell me, why?

I don’t know … to sell records.
To sell records, I could do it. Right. But I have a gold record without doing it, do you understand me? Well, if I had to sell records, I’d be out there giving interviews to everybody. Don’t you see? Mr. Clive Davis, he was president of Columbia Records, and he said he wouldn’t be surprised if this last album sold a million units. Without giving one interview. Now you tell me, Jann, why am I going to go out and give an interview?

To get hassled …
Why would I want to go out and get hassled? If they’re gonna pay me, I mean … who wants to do that? I don’t.




 それにしてももう変更不可能だろう思われる時期になって変更を言い出す…ディランらしい(笑)。

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