Tomorrow Is a Long Time


1963年2月の寒い日、当時CBSのフォトグラファーだったドン・ハンスタインは、ボブ・ディランのセカンドアルバム「フリーホイーリン・ボブ・ディラン」のジャケット撮影を行うためにディランのアパートに向った
























「コロンビアの宣伝部の人間が『ボブ・ディランという名の少年だ。彼はこの先、熱くなる。すぐに資料用の写真を撮らないといけない。ダウンタウンで君が来るのを待っている』というのでビレッジに向った。ボブのアパートはWest 4th Streetにありエレベータ無しの3階の部屋だった。わびしいアパートだったが、ガールフレンドのスーズを含め、使えそうな写真が撮れた。ディランは既にイメージをとても重視していて自身に満ちていた。そしてカメラに対しどう接すればいいかをわかっていた。部屋での撮影のあと、通りに出て写真を撮ろうと外に出た。が、すぐに暗くなってきた。結局カラーフィルム1本と数枚モノクロで撮った。私は二人に私から50フィート離れたら今度は向きを変えて僕の方に戻ってきてくれと頼んだ。凄く寒かったから時間がとれなかった。でも我々はラッキーだったよ。良い写真が撮れた」(ドン・ハンスタイン)

「外での撮影の時、彼はとても薄いスエードのジャーキンを着た。イメージのためだった。そしてぶるぶると震えていた。私はセーターの上にお気に入りのローデングリーンのコートを着た。アパートはいつも寒くて私はセータを着て、その上に彼から借りた大きなセーターを着て最後にコートを着ていた。まるでイタリアン・ソーセージみたい。この写真を見るたびに太って見えると思った」(スージィ・ロトロ)

※どーでも良いことだが(笑)撮影した通りに関して二人は意見を異にしているようだ。バーンスタインはコーネリア・ストリート(Cornelia Street)だと言いロトロはジョーンズ・ストリート(Jones Street)だと言っている。で、取りあえず、ジョーンズ・ストリートのようだ。

The Freewheelin' Bob Dylan Photo Location In New York




Photo:Jim Marshall











Bob Dylan & Suze Rotolo at their West 4th Street Greenwich Village home in February, NYC, 1963







2008年



1961年7月、リバーサイド教会で行われたフォークコンサート(マンハッタン・フォークフェスティバル)で二人は初めて出会った。ディラン20歳、ロトロ17歳だった。

二人は月60ドルの161 West 4th Streetにあるエレベータ無しの二部屋付のアパートで暮し始めた。

1962年6月、ロトロはイタリアのペルージャ大学へ美術の勉強のために半年間旅に出た。おいてきぼりにされたディランは

"Don't Think Twice, It's All Right,"
"Boots of Spanish Leather"
"Tomorrow Is a Long Time."

などの曲をを書いた。


後に、彼女の母親と姉を強烈に批判した

"Ballad in Plain D."

を書いた。

帰国後、再びディランと暮し始めるが1963年8月(ニューポートの1ヶ月後)ディランのもとを去り姉のカーラのアパートに引越した。その後、妊娠していることがわかるが中絶する。

ペルージャで知合ったフィルム編集者のEnzo Bartoccioliと1967年(or1970)に結婚、二人は数年間イタリアで暮した。

2004年、Alla DaPieという偽名を使ってブッシュと共和党を批判した。




Steve Earle - Don't Think Twice It's Alright (For Suze Rotolo R.I.P.) Philly 2-27-11
Steve Earle Dedicates Song to Suze Rotolo



Suze Rotolo: Of Dylan, New York and Art(NPR) ※2008年のインタビュー







人が亡くなる話しをきくのはさみしいものだ......







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