Flash back 1994


1994年5月20日、21日、22日 奈良 東大寺



1994年5月20日、21日、22日の3日間開催されたThe Great Music Experienceザ・グレート・ミュージック・エクスペリエンス)。恐らくこのコンサートを企画しであろう、イギリスのプロデューサー、トニー・ホリングスワースのウエブにPeter Elmanという人が書いた詳しい説明がある。

The Great Music Experience

  • 最終日はライブ中継されたが、実際のライブ映像は半分ほどで、残りは前日に録画した編集映像だった。その4年前、ロジャー・ウオーターズの「The Wall」ベルリンライブでの失敗を教訓にした結果だった。
  • 日本側のプロデューサー吉目木邦彦氏と共に、バブル崩壊後の日本で東大寺やNHKとの交渉、チケット売り上げの不振、スポンサーの獲得など詳しく書かれている。
  • ホリングスワースがディランのマネージャー、ジェフ・クレイマー (Jeff Kramer) に「フィルハーモニー・オーケストラと日本の古典楽器を使ったアンサンブルをボブの音楽のためにセットしている」と、この計画について話した。クレイマーは驚いたが、そのアイデアをディランに伝えると言った。ディランは興味を示し出演者の一人になった。
  • リハーサルは2週間行われた。場所は大阪のホテルやスタジオだった。日本と西洋の組み合わせでミュージシャンは色んな事を学んだそうだ。チーフタンズはパチンコ・ミュージックを演奏したいと言ったが、由緒正しき寺院でそのようなものは演奏出来ないと言われ困惑したらしい。



以下はディランに関する部分だ

ザ・グレート・ミュージック・エクスペリエンスはディランにとって初のオーケストラとの共演だった。それは簡単な事では無かった。彼は依然として有名なトルバドールだった。そして極めて独特な演奏をするようになっていた。彼と一緒にプレイした人は皆口をそろえてとても難しかったと言った。彼はしょっちゅう曲の途中で違うやり方で歌ったり、テンポを変えたり、少々飛ばしたりと曲を変更した。オーケストラとの共演は、これまでとは全く違う経験を彼に与えた。

今回に限って、バンドは彼について行かなかった。彼はバンドに自分についてくることを要求することも、そしてリードすることも出来なかった。64人編成の東京フィルハーモニー交響楽団と6カ国からなるアンサンブルのメンバー達は大アンサンブルの一人として仕事をした。ディランのやり方で演奏したいと思っても、指揮者のマイケル・ケイメンがただ一つ許したのは柔軟性だけだった。

しかし、ディランはその束縛を解放する解消法を見つけた。彼は3曲歌った。彼はよくやった。最後の夜、ステージを降りた後、大きな笑顔と共にホリングスワースと握手した。珍しい笑顔、そして「15年間歌ってきた中でベストだった」と言った。


Qマガジンもこう書いている

「ディラン…男とのベアリングで任務としてステージに上がった。彼の黒い、輝くボタンのチュニック、襟とタイ、彼……普段は……ほとんど話さない、でも彼は、マイケル・ケイメンと彼のために用意されたオーケストラに体を向けた。

ギターを軽くかき鳴らして音を出すとケイメンが率いる一団も渦の中に入ってきた。この日本公演の始まりにディランは勿論A Hard Rain’s A-Gonna Fallを選んだ。しかし普通のヴァージョンではない。ケイメンによって支えられている60人以上の訓練された音楽家達が織りなすハーモニーは、驚くべき感動のサラウンドとなった。ディランは歌った。本当に心から歌った。もう何年もやっていなかった事だ。ケイメンのアレンジはディランを穏やかにさせた(長い凪で止まっているガタガタの古いガレオン船が、突然圧倒的な風が吹いて再び航海に出るような感じだ)」

これはI Shall Be Releasedまで続いた、Ring Them Bellsは多くの同じパターンがあった(どちらかというと、こっちの方が良かった)。日本の古典楽器演奏家のチャイム(古代のベル)がミックスされ、ディランは全てのユニークさを持って答えた。ブッダは微笑んで見下ろし。涙を流した。

「…ディランを見た人達はけして忘れないだろう。金切り声をあげていたXのファンでさえも、この15分間が何か歴史的な特別な事に立ち会っていることに気づいてるように見えた」(Q, August 1994)

日本にいる間ディランは殆ど姿を隠していたが、他の人と同じようにリハーサルを行った。彼はホリングスワースがジョージ・マーティン採用した事が正解だった事を証明した。マーティンの仕事はサウンドのプロデュースだったが彼はそれを上手くやった。

ホリングスワース:リハーサルスタジオに行ってボブ・ディランに真剣にこんな事を言う人はいないだろう「上手くいかないのは、あなたの声が聞こえないからだ。大きな声で歌え!」とね。ジョージ・マーティンはそれをやったんだ。
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House Band
Ray Cooper (Percussion)
Jim Keltner (Drums)
Phil Palmer (Guitar)
Pino Palladino (Bass)
Wix Wickens (keyboards)

Ed Shearmur (keyboards)




















90年の「The Wall」ベルリンライブでの大きなトラブルは、本番中に電源が落ちた事だったライブが始まって2曲目(The Thin Ice)くらいで落ちている(照明、TVカメラなどは生きているようだ。PAが死んだようだ)。その後回復するがシネイド・オコーナーの時に再び落ちた。ロジャー・ウオーターズは、電源が復帰するまで彼女に歌うふりをしろとか言ったようだが応じなかったようだ。また録りなおしにも現れなかったようだ。


00:41 - In The Flesh?
04:37 - The Thin Ice
08:10 - Another Brick In The Wall (Part I)
10:57 - The Happiest Days Of Our Lives
12:29 - Another Brick In The Wall (Part II)
18:54 - Mother
25:35 - Goodbye Blue Sky
29:25 - Empty Spaces
31:48 - What Shall We Do Now?
33:21 - Young Lust
38:05 - One Of My Turns
42:38 - Don't Leave Me Now
47:48 - Another Brick In The Wall (Part III)
49:05 - The Last Few Bricks
51:22 - Goodbye Cruel World
52:45 - Intermission


プロデューサーにとって電源が落ちることなど悪夢以外の何物でも無い。そのせいで慎重になったのもまぁしょうがない…。それにしてもイギリス人プロデューサーだからか人選がユニークだな。シネイド・オコーナーとバンドの組み合わせとか…。翌年91年、スペインのGuitar Legendsを仕掛けたのも彼だ。あのユニークな人選(笑)。彼は日本と西洋ではなく基本的にアメリカとイギリスの融合が目的じゃないのか(笑)。ていうかこれも当然3日分プラスアルファーの映像があるわけだ…
Guitar Legends Expo '92

そういえば、ディランはこのライブのためにヴォイスレッスンを受けたんやな…
じぇじぇじぇ鈴鹿ひろ美にヴォイストレーナー


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